「一汁一菜でよいという提案」は料理研究家である土井善晴さんが書いた書籍です。
家庭料理のあり方が記されており、料理ってそんな感じでいいんだという安心感を与えてくれる本です。料理はこうでなければというような思い込みがあるのであれば、ぜひ本書を読んで頭を柔らかくしてもらえればと思います。
今回はこの書籍で私がためになったことを私なりの文章で以下に挙げていきます。
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食事はすべてのはじまり
食事って生きる上で必要なものということを普段から意識しているのだろうか?
ただ、なんとなくご飯を食べる。そんな生活を送っているのであれば、心も荒んでしまいますよね。心の充実を考えれば、普段の食事、そして料理することも大切に思えてくる。生きることと料理することはセットで欠かせないもの。本書では食の大切さも得られる内容でした。
食べ飽きないもの
人工的な食べ物は、食べておいしいと感じるようになっています。そのように味付けされているからですね。そして、そのような食べ物は、すぐに別の食べ物を食べたくなってしまう。
それとは別に、ご飯とお味噌汁、漬物は自然な味付け。何度食べても食べ飽きないものです。
個人的に思ったのが、人工的な食べ物って中毒性が高いように思うんですよね。また食べてもらいたくなるように、また買ってもらえると企業が儲かりますからね。そして、飽きたら次の味付けを求めるって感じ。ますます企業のマーケティングにハマっているようなループに陥ってしまう。
普段の私もそのような感じだったので、自然なご飯やお味噌汁を味わいたいと思いました。
おいしいと言われるものは実は食べなくてもいいもの
メディアで盛んにおいしいと言われているものは、実は食べなくてもよいものも多い!このことにハッとさせられました。普段からメディアに踊らされてあれ食べよう、これ食べようと思ってしまう美味しいものは、別に食べなくても困らないものが多いんですよね。
料理をしなくても食事することができるのだが…
現代社会では、食べ物を買ってしまえば、自分は料理しなくても、簡単に食べることができますよね。でも、料理するという行動と食べることが連動することで心を育てることを考えれば、行動せずに食べるだけを繰り返していると、心の発達やバランスを崩してしまうんだと思います。
食べるもので体質が作られる
人の細胞は絶えず生まれ変わり、数カ月もすれば別の肉体になると言われています。食べるものによって、良い体調を維持できるし、食べ物が偏っていると体調を崩したり、病気にかかりやすくなってしまう。私たちの身体は食事から作られているんですね。
お米に呼び名がいくつもあるのは
お米って各工程によって、その段階における呼び名が違いますよね。
稲を刈り、脱穀して籾として保存、籾すりして玄米に、玄米を精米して白米となる。このように各工程で呼び名が異なるのは、その段階で関わる人がいるからなんですね。それだけ、日本人はご飯を大切にしてきたんだと思いますよね。
味噌汁とパン
このようなスタイルも多いにありとする著者の考え方って柔軟ですばらしいですよね。
たとえ家族団らんの食事でなくても
食育では家族団らんで食べようなんて言われることもありますが、著者の体験から、手作り料理であれば、子どもだけで食べるのも、愛情を受けとっているのだと言っています。確かに、仕事などで子どもと一緒に食事できない家庭も多いでしょう。そんな家庭でも愛情の与え方があるという主張には、勇気をもらえるのではないでしょうか。
感想
料理って自由でいいんだなと感じさせる内容だと思いました。
味噌汁はいろんな野菜を入れて楽しむことができるし、深く考えずに冷蔵庫にある野菜を味噌汁に入れればいい。家庭料理はごちそうでなくてもよくて、おいしい必要もありませんという著者の主張は、日々、献立に悩む人には救いの言葉ではないでしょうか。
料理の上手い下手ではなく、一生懸命生きることが大切だと気づかせてくれる一冊です。
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